3-11の震災は、宮城県沿岸部の南部で経験しました。
2度ほど、山の上に避難しましたが、幸い津波は免れました、
3月中旬は親戚のところに避難していたので、残念ながら、まか~ うらさんが急遽してくださった遠隔が感じられませんでした。
しかし、その後一度自宅に戻った時、家の中に安らぎを感じましたので、 ここには届いていたのだなぁと、思いました。
3月末は、自宅にて遠隔の直後、自主避難を決心して今居る場所に避難してきました。
お陰さまで、安心してこちらに向かってくることができましたし、 ガソリンの給油などもスムーズに行きました。
病気もせず、怪我もせず、風邪もひかず、ありがたいことです。
今、とても、幸せな環境に居ます。
家族そろって、 岩木山山麓の高原に住んでいます。
楽園という言葉が浮かびそうな森に守られています。
東京ドーム8個分の敷地の中に、 私たち家族だけという時期もありました。
私たちは、だいぶ感覚が敏感になってきたように思います。
地震前に耳鳴りのような音や、直前にはP波? や地鳴りが聞こえます。
(ここは最近はあまり揺れないのですが)
また場所の波動をキャッチできるようになった気がします。
震災後の数日間で家のバラがオレンジ色から緑に変わり、 いつも鳥が食べていたブロッコリーを鳥が食べず・・・。
震災翌日の日光のやけに強かったこと。 一時間位でヒリヒリ日焼けするほどでした。
何かが変だ、危険だと感じました、 やはりメルトダウンして大量の放射能が拡散していたのですね。
そのころ、娘は、家の中を目張りして、マスク、帽子を被り、外に出ませんでした、今、思えば正解でした。
あの数日着た服は、ビニール袋に入れて、口を縛っておきました。
ライフラインゼロ、情報ゼロ、の中で携帯が使える場所まで行くことができるガソリンがあったこと(震災前日に給油)
前週から前日までに(非常食(パンの缶詰、水、粉、砂糖、塩、 パスタ類、缶詰)の購入をしていたこと、まかうらさんのヒーリングのときのために、水の購入をしていたこと。
海に行くのを当日に予定を変更して、 家族そろって自宅に居たこと。
本当にラッキーでした。
もし原発の最初の爆発の映像をテレビで見られたなら、迷わずすぐに逃げて、逃げる方向を間違ったかもしれません。
もっと早く逃げ出せばよかったと思ったりもしましたが、 今思えば、良かったと思います。
まか~うらさん、いつも遠隔ヒーリングをありがとうございます。
長い期間、ご好意に甘えてしまいました、 我が家も激動の期間でした。
でも、何度も居場所を移動しつつ、 変化の中でも幸せに過ごせたと感謝しています。
次回も遠隔を楽しみにしております。
どうぞ、 よろしくお願いいたします。

アロハ
大変でしたね。
しかしご家族で新しく居心地の良い場所で新生活が始められて良かったです。
またハワイに起こしの際にはお声をおかけくださいね。

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